GFactor

田舎には「フリーの映像クリエーター」という
職業そのものがなかった。

映像を生業としてますが、岡山の県北の田舎町で育った私は、世の中に
「フリーの映像クリエーター」という職業的選択があることさえ知らなかった。
そんな私ですが、そもそも映像に興味を持ったのは、今から思えば「生まれつき」だと思ってます。

時代背景

生まれたのは1966年6月。
幼い頃、サンダーバードという人形劇をやっていて、はまりまくり。
後の映像に対する興味は、この作品によるものかもしれないと思ってます。
小学校中学年くらいで宇宙戦艦ヤマトが始まって、松本零士先生が当時は神様。
小学6年でスターウオーズのEp.4(第一作)が公開。
ルーカス先生が今度は神様。
これらと出会えていなかったら、人生が変わっていたかもしれない作品たち。

じつは幼い頃なぜか8mmフィルムがすごく欲しかったけど、それは簡単に子どもが
買ってもらえるものではなかった。(スピルバーグ監督がうらやましい)
ビデオを初めて手にしたのは、中学校3年の時。
その後、19才くらいで8mmビデオを手にし、徐々に編集環境を構築。
SONYのエディットギアシリーズ。
20代前半はこれで趣味としてのビデオに目覚める。
「ビデオは作るものだ」、つまり編集が自分の中で楽しくて、それはきっと
上い書いた映画などの特殊効果の凄さから、「編集」に気持ちが向かった
んだろうと思います。

趣味から仕事へ

趣味としてビデオを身近に感じながらも、職業になるとは
全く思っていなかった20代。
製造業を中心に、病院、医療施設など職を転々。
ある時、「ドラゴンボールZ」をたまたま見ていて、その主題歌に、
「夢中になれるものが、いつか君をすげえやつにするんだ」
と歌われていた。
お!夢中になれることをやれる人生は素敵ではないか、とその歌に共感したのが、
30歳になってから。
だが!「夢中になれること」それって何だ?
その時、冷静に自分を見つめて、初めて「ビデオって夢中になれるな」という事を再確認。

ついに起業

私にはビデオがある!という事に気がつくも、当時は派遣会社から工場勤務。
だが、そう思ったんだからやるしかない。
決心してから、記念すべき初めての作品は、まだ工場勤務中なんだけど、
Madison,WIで英語習った経験から、工場でもカナダ人の女性から英語を習っていて、
その先生の結婚式で上映する「思い出ビデオ」。

カナダでの上映では、私の映像に涙してくれる人もいて、「映像という決心に間違いはない」と確信。

当時はノンリニアの黎明期で、とりあえずMac買ってMedia100というので
編集環境を構築。仕事で使うビデオはβカムの時代だったため、アナログ的専門知識を必要とした
時代背景もよかった。
今のようにSDカードに入ったHD素材をHDDにコピーして使う、というやり方では、
そもそもなんでカラーバーがあるの?みたいな基本を無視できるけど、アナログテープをデジタイズする、
という環境下では、そもそも学ぶべきことが一杯あり、それが後によかったと思えます。

そんなことで、ビデオの知識はすべて独学。
1998年「ガジェットファクトリー(Gadget Factory)」として映像制作を開始。
開業直前、中部版「デューダ」(就職情報誌)の取材を受ける。(1998年4月8日号)
起業後1年で、ビデオサロン誌の取材を受ける。(1999年9月号)
など、開業早々で自分が雑誌に取り上げられるとは思ってもいないので、
いまから思えば運がよかった、と感じます。

道は続くよ

そもそも「ビデオで起業だ」と思っても、趣味のアマチュアに「想像できる」仕事は、
結婚式とか、幼稚園とかの発表会など、まあだれでも考えつくようなもの。

でも時代が良かった!βカムで納品出来て、ノンリニアでAfter Effectsが使える
なんて、それはテレビCM、番組オープニング、企業ビデオなどの需要にマッチして
いました。

でもサンプル見せてって言われても、当時はクライアントゼロからスタートしたので、
苦労も多かったです。

2000年になって、屋号をG Factoryに変更。
この頃はフォーラム、シンポジウムなどのオープニング映像の依頼が多かった時代。

起業まもなく取材して頂いたビデオサロン誌には、その後半年間の連載を書かせてもらったり、2013年には
玄光社の「デジタルシネマカメラ完全攻略」で、GH3の執筆をさせて頂いたりしてます。

映像人生をスタートさせて気がついたことは、「思いがけないことは、必ず起こる」ということ。
趣味から始めたビデオの仕事で、全国誌に執筆するなんて思ってもないし、
豊田市の中学校で、地域講師として講演したり、名古屋のApple Storeでもそんな機会を設けてもらったり。
そもそも自分がテレビCMを作るなんて考えてなかったし、
小学校の頃、刑事ドラマで見ていた俳優さんで、今や大物になっている方と仕事ができたり。

技術革新も本当にめざましく、過去にヘリに乗って空撮した建物に、自分の操縦するドローンで再び撮影するとか。

今は弟子に事業継承を考えていて、自分が築いたものを、若い世代が引き継いでいってくれる
ということも、想定外。
まだまだ、自分にもやりたいことがあり、道の途中。
映像人生にはもっと「思いがけないこと」が起こるという気がしています。
この職を選択したことで、「よりよい自分になれる人生」だったんだ、と
最後の瞬間にも感じられるように、これからも歩き続けられればと思っています。